pixivでデイリーランキング33位で、少し気になったので。

http://creaholic.yumenogotoshi.com/com/koma/koma_01.htm


・「作者一個人の意見等を述べたものであり……」と留保することの意味。
「この漫画は政治・思想等に関する記述が存在します」とあるが、実際に表現されているのは政治・思想等に関する「意見・主張」である(この作品について「作者は何も主張していない」というのは無理)。
「意見・主張」であるのが明らかなものについて、「これは一個人の意見です」とそれが明らかであるにも関わらず留保すること。ここに透かし見ることができるのは、「政治的主張はしたいが、(手厳しい)政治的批判はやめてくれ」という姿勢では?


・「特定の感情を煽動するものではない」。
作者が言えるのは作品の意味と作品に込めた意志(「特定の感情を煽動しようとは思っていない/したくはない」)まで。作品の効果は作品‐読者間に「現れる」ものであり、それは作者を含め誰かが決定できるものではない。
そして俺にはどう見ても本作品が特定の意見へと煽動するものにしか見えない。風刺とはそういうもの(理論/議論/現場/歴史を捨象し単純化・象徴化することで効果を狙うもの)だし、「自分は正しくそういった捨象を行っているつもりだし、それについて批判を受けること、そして間違っていればきちんとごめんなさいする」覚悟がなければ風刺を書いてはいけないと思う。


・ネット・ゲーム・マンガ等に対する一部マスコミ・一部議員の態度は、俺の持っている情報内で判断するなら確かにアホである。が、「俺の持っている情報内で判断するなら」という留保がつく時点で既にこの議論に意味があるかどうか怪しい。メディアと通した情報はすべてダメだ、ではなく、「俺の持っている情報」にどれほどの重さがあるかという問題。
(メディア=情報について懐疑論を徹底しすぎると何も言えない。何も言えないよりはまだ何か間違いを言ったほうがいい。あくまで「まだ」だが)


ゆとり教育・国歌斉唱については作者こそマスコミ(の影響を受けた者)に取り込まれているのでは。
ゆとり教育とはいつ・誰が・なぜ・どこで・どのように考え行動して提案/審議/導入/撤廃されたのか」。これだけで本が軽く一冊書ける。最低限それだけの知識を持った上で批判しているのか?
(最低限、というのは、当然だが複数の主張を考えれば一冊読んで済むわけはないから)


・「なんで国家を歌うだけで文句が出るんでしょう? 不思議です」
作者が自宅のベランダで昼過ぎに歌う分には誰も文句は言わない。問題は「国家を歌う」場面、環境で、どのような政治/圧力/関係性が生じているかということ。
当たり前だが、「歌え!」と直接強制されることのみが「強制」ではないということ。


・「彼らは日本人じゃないんでしょうかね」
逆に問えば、国籍が日本である、出身地/成育地が日本である、ということに、なぜ他人からそこまで(特定の)意味を持てと言われなければならないのか?
また愛国心教育には日本国内に生きる他国籍・他民族の人々に対するまなざしが完全に欠落している。
同時にそもそも「日本人」とどこで区切れるのか? 国家も共同体も想像力の産物。
愛国心にしても、「国を愛する」とはどういうことなのか? つーか「国」って何? 「伝統」って何?
(どちら様かが抱いていらっしゃるそうな私的で恣意的なイメージを押し付けられても……)



・「少なくとも凶悪犯の衣食住を面倒見ているのは国民の税金。その負担が減る(死刑の(早期)執行)のは国益に間違いなく繋がる」


……( ゜д゜)ポカーン


よーしそれじゃあ同じ論理で年金生活者と被生活保護者と障害者とニートとひきこもりのジェノサイドをよろしくお願いしますおwwwwwwwwっうぇwwwwっうぇwww


まずは彼ら無生産者・無能力者たちを「何故殺さないのか」という論理の検討からはじめるべき。また金・益という観点がこれまで(今も)どのように社会的な排除・抑圧を生んできたのかということの確認。
そしてそれとは別に「他者に害を為す者について」を考える必要。
個人的には、死刑については未だに賛成/反対決めかねている。少なくとも、「あれがこうだからこれはこう」というような、論理ですっきり片がつく話ではないのではないか、という感触。