突然ですが、

ここぼちぼち更新停止します。
はてなダイアリーの広告が最近特に見苦しいなってのもあるんですが、色々枝分かれしてしまったアカウントを一旦統合したいな、そしてやっぱりリアルの人間関係から紐付いたアカウントでなく、欲望をダダ漏れにしてよい完全匿名でやりたいなという衝動が強くなってきたので。
多分Tumblrかなあと思うんですが他にいいの見つけたらまた違うかも。

わかりませんが、まあ、そういうことで。

イスイス団とクソコラ祭り。

→イスラム国(ISIS)に対するツイッター利用者の攻撃と海外からの評価
これなあ。
評価すげー難しいんだけど、少なくとも面白い現象だと思った。人質が今にも殺害されそうなときに面白いはねえだろと言われるとごもっともなんだけれども。
日本のネット利用者の人を人だと思わない無関心さ、なんであろうとひとときの暇潰しとして消費の鍋に放り込んでしまう見境のなさ、無慈悲な、ある種機械的なそれが行くとこまで行って中東のテロ屋を結果的に爆撃してしまうという。
すげえなあ21世紀。まさか極東の暇を持て余したうだつの上がらないリーマンや学生やニートがシリアのテロリストのプロパガンダをカウンターし始めるとか誰が想像できるんだこれ。しかも意図しない結果論で。

クソコラに正義もなければ「テロとの新しい戦い」な要素は皆無だから
テロリストにダメージも与えてない
人命がかかってるのに不謹慎という要素もある
ただ、ドイツ人のコメントの通り
「日本国民はおまえ等の話を真面目に聞くつもりはない」
というメッセージだけは明確に伝わってる

http://twitter.com/ScreamoTAI/status/559184395048062976

どちらかというと、正義と正義ですらなく、戦うつもりもなく、ただネタとして、相手をキャラとしか見る気がない不感症者たちのメタ視線が、テロリストの「真面目」な戦い、正義の旗を取り合うゲームを土俵から脱構築しているというのが正しいように思う。まさに「日本国民はおまえ等の話を真面目に聞くつもりはない」のだ。
テロリストたちはダメージを受けていないのではなく、戦いをすっぽかされている。

もちろんこれは、不感症者たちにとって全てがまだ他人事だから、ではあるが。

読んだ。(『されど罪人は竜と踊る15』)

されど罪人は竜と踊る 15: 瑠璃色の放物線 (ガガガ文庫 あ 2-16)されど罪人は竜と踊る 15: 瑠璃色の放物線 (ガガガ文庫 あ 2-16)
浅井 ラボ

小学館 2015-01-20
売り上げランキング : 91318

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
14巻から2ヶ月連続刊行のはずがだいぶ待たされたものの、待った甲斐はあった。
宙界の瞳が複数あったというのはやや萎えたが(エミレオの書はじめ、作者はちょっとアイテム使い回しすぎな感が)、死線を越えてきた主人公の成長具合がはっきりと描かれていて、10年単位で作品を追っている身としては嬉しさもひとしおという感。
主人公二人はあくまでも到達者クラスかその少し上で、他者の策略を縫う機転と知略で勝っていく流れは今後も続くものと思っていたが、ギギナの台詞からすると主人公二人も踏破者クラスに踏み込んでいくさまが今後描かれることになるのかならないのか。
ダルセーノやクエロが世界の敵に名を連ねている現状はその可能性を示唆しているが、そのためには「あと数十の死線を抜ける」のが条件、というのがカジフチの見立てだった。うろ覚えだけど。
そこまで見届けることができれば何よりなんだけど、そうなるイメージが湧かないんだよなあ。この作品の世界観だと、1〜3つくらいの強力かつ応用性の高い能力を大出力・大スタミナでぶん回すというのが踏破者級のセオリーなんだけど、主人公二人はどちらもそのタイプからはかなり遠いような。
アイニとかゲメイラで立ち回ってるレベルからどうやって踏破者に至れるのか、気になるところではある。(そういう意味ではバーイーモーンが段々平気になってるガユスの方が一皮剥ける余地がある感じがする)

とにかく来月マジで新刊は出るのか。気になるのはそこだ。

残り五十の春によせて。

仕事と、あとtumblrSmartnewsとPressoの海に飲み込まれて帰って来れなくなっていた一年(?)だったように思う。(グノシー? クソは死ね)
それだけでなく、本を読むことからとても長いあいだ遠ざかっていて、ひとつの事柄を深く長く追うことが気づかないうちにとても苦手になっている。それから文章を書くことも。
言い換えれば、自分の内面と向き合わず、目の前の情報に反射することで生きてしまっていた。
この辺りで少し、自分のペンを動かさないといけない、とふと気付けて、まだ自分の勘は残っていてくれたようで助かる。
反射と内省とのバランスが俺の肝だったような気もして、思えば内省のタイミングが遅すぎた。

一人の時間を持たなくなったことも大きいだろう。
長い間観ていなかったTVを、二人になってからよく見るようになった。時間の使い方自体が決定的に変わった。幸いそれはそれなりにと思えるので良いが、ひとによっては堪えるだろうこともわかる。

この一月に仕事上の大きな転機もあり、ぼんやりと思い浮かべていた人生の計画が霧消して、かえって計画立てることの重要性が意識されるようになった。計画のない者は何も出来ない。