後藤道夫『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』(旬報社、2006年)(2)

 激しい勢いで進んでいる新自由主義的社会改編への対抗戦略として、また同時に、近い将来の社会変革の目標として、新たなタイプの「福祉国家」を考えたい(p315)


 福祉国家は、まず、資本=賃労働関係をふくむ市場経済を大前提としたうえでの、市場にたいする大規模で制度化された国家介入を用いた、改良された資本主義体制の一種と理解されている。
 そのなかでも、とくに、労働力を市場の「自然発生的」な需給関係にゆだね、まったくの一商品としてあつかうことと、労働者およびその家族の生活上との、激しいギャップに焦点をあて、そうした乖離部分を、さまざまな領域の国家規制と労働組合の規制、および社会保障で埋めることが中心的課題とされてきた。……労働力商品の販売だけに、労働者とその家族が頼って生活することの悲惨と不可能の認識の蓄積が、福祉国家体制の根本にある。(p317)


 こうした福祉国家は、階級闘争という視点からみれば、潜在的あるいは明示的な労使の階級妥協の制度化である。労働組合団結権、交渉権、争議権は広く法的に承認され、同時に、労働組合運動内の共産主義をふくむラディカリズムを抑圧したうえで、労働組合勢力あるいはそれを代表する社会民主主義政党ないし社会的自由主義政党が、政治枠組みと国家機構のなかに制度的に組み込まれる。(p318)


 資本蓄積と社会保障を両立させることが、これまでの福祉国家型の階級妥協の前提条件であるため、国内経済の高い成長率の維持、したがって、その国民経済が世界市場のなかで有利な競走上の位置を保つことが、労使の共通の目標となる。こうした基本的構造のため、戦後福祉国家も世界市場における弱者からの種々の収奪体制を前提とした存在となり、「社会帝国主義」の歴史の延長上に位置づくことになった。
 異なる角度からみると、これまでの福祉国家が補完・介入してそれなりの平等性をその成員に保障しようと努めてきた「市場」は、本質的に国内市場であり、世界市場と国際関係については、経済競争における弱肉強食と「効率性」の論理、さらに軍事における力の論理が前提されていたといってよい(pp318−319)


 さらに、社会保障費の増加が国家の財政負担を超えて破滅的なものとならないようにするために、完全雇用政策が高い位置を占めるようになり、景気調整のためのケインズ主義的な経済政策・財政政策が採用される。(p319)


 

 日本の知識人や民主的な運動の側でも、前近代的要素の払拭という課題意識が圧倒的な位置を占めており、福祉国家型の国家機構や社会編成を推進する強力なグループは、戦後直後にはほとんどいなかった(p325)


 しかし、先の引用部分のとらえ方では、近代市民社会古典的自由主義個人主義に大きな期待を寄せる右派的立場からの福祉国家批判と、社会主義的変革をめざす側からの福祉国家批判とが、無媒介に共存していることになる。先にふれた「予定調和的」把握のあらわれであろう。(p336)