(再掲)私たちは底冷えのする何かを探している

(元記事 2008年04月20日13:17)

ああ、やっぱ俺もone of themなんだなぁみたいな感覚が出てきた。宛名のないthemの一個体に過ぎんのだなと。
お社会的にもコミュニティ的にも代えの利かないオンリーワンなどでは決してなくて、まぁ、ベタに言うと、別にいてもいなくても同じなんだなっていう。

だからいなくていいや、みたいなありがちなネガティブ思考を言いたいわけじゃなくて(つか暗に示す感じであっても、「要求」されてるから生きてるんだよ、みたいなのには「ハァ?」というか)、そして自己啓発的なポジティブ思考の妄想を分泌したいわけじゃなくて、特に価値色を持たない言い方での「自分がどうしたいか」なんだなーと思った。

「俺がどうしたいのか」という問いに分裂症的に(複数のペルソナで)答えなければならない現状が、それこそ逼迫したかたちで目の前にあって(そう、「答え」なければいけない。対応しないと生権力的なルートで「死」ぬ)、また少し世界認識が変わった。
大学でお勉強してきたことが身体的に咀嚼できたということだろうし、たぶんここらが俺の人生の転機なんだろ。

学歴的に今からでもお社会的な「正規ルート」には乗れるだろう(このへんは親にありがとう)。ま、我慢すれば。そしてこの我慢がラカンの言う「去勢」なのかなとも思った。
そして俺は俺の人間関係の領域で多少キワモノ扱いされようと、それはコミュニティの中で半分ランダムに発生するキャラクター性でしかなくて、どう見ても普通人です、本当にありがとうございました、なわけで(そこらに氾濫してる「個性」なんて遠目でみたら真剣にどうでもいいものっすよ、て、今更指摘するのもイタいかな)。

さて、それでどうすんのかなと。
状況的には困ってる一方で、心情的にはなんかもう逃避完了してるので困った感はあんまない。思考はそれ勘違いだとわかってるんだけど、心が全然ついてこない。
これを強かというのか「折れちゃった」というのかもよくわかんね。
「まぁ明日で間に合う」が俺の人生哲学だというのははっきりした。
「もう逃げるよぉー!」と言いながら、それをネタとして割り切っている自分がいることも。

俺はいつも冷めたまなざしで夢うつつなのだった。これに「おめでとう」というべきだろうか。