Hello, hello, my world ――FUF、『靖国』、素人の乱(1)

怒涛のような先週のことをここで一度まとめておく。
時系列としてはタイトルの通りの順だが、敢えて出来事の順番やどこで何が起こったかという区別にはこだわらない。
思いつくことから思いつくだけ書く。

映画『靖国

最高。
映像としては確かに素人ドキュメンタリーレベル。ただ、「靖国」という存在が持つネタとしか思えないポテンシャルを引き出すことについてかなり成功した作品だと思った。
以前ここにも書いた靖国での体験をフィードバックしながら観ると、「靖国」という環境そのものの、ネタとしてあまりの強烈さに映画としての構成や技術はどうでもよく感じた。


靖国神社はテキトーな妄想の集まりである(としか今の俺には思えない)。
だから個々人でそこに読み込むものが違う。当然だ。
「魂」「護国」「英霊」等々の適当すぎる概念を寄せ集めて、適当である(くせに不釣合いなほど装飾されている)がゆえの、言わばcatch-all symbol。


劇中での靖国について好意的な人々の語りは、どれもこれも脳が残念なことになっているようにしか聞こえなかった。

  • 「イギリスの大英博物館は世界中から奪ったものを展示してるんだよな。ありゃ世界中から奪ってきたものなんだ。でも日本軍は戦争中そんなことしなかったんだから」

    だから……えーと、何?

  • 「最近の若いもんはなっとらん! 靖国に参拝するにしてもその意味がまったく分かってない! 靖国に参拝することで英霊の魂を自分の中に取り込むんだ! こだまを感じるんだ!」

    日本語でプリーズ。


アメリカからきたおっさんが「私は小泉首相を支持します」と書いたプラカードと星条旗を境内で掲げていて、最初は周囲もそれを友好的に受けとめていたのに次第に「ここで星条旗を掲げるとは何事だ!」みたいな人が集まってきてえらいことに。
結局警察まで登場して警官に保護されながらアメリカ人の彼は退場して行く。その様子にうるせえおっさんが「ヤンキーゴーホーム!」と叫び声を上げる。そこだけ半端に英語なのかよ。
しかしヤンキーゴーホームのおっさんはある意味ナショナリストとしては首尾一貫している気もして、比較するとその場で友好的な人間のほうが無内容な平和主義的修正主義者に見える。どんぐりの背比べだけど。


終戦記念式典か何かで君が代斉唱のときに「小泉首相の参拝反対」(だったような)を若者二人が正面に立って主張するという場面が映されていた。
あっという間に大騒ぎになって、その場にいた人々に若者の片方は取り押さえられ、そのうち一人に羽交い絞めにされて(その様子がまた凄惨であると同時に滑稽すぎ)周りの人が「それ以上はやめろ死ぬ」と逆に収め、若者が立ち上がると今度はとあるおっさんが指を突きつけながらわめく。


「お前中国人だろ! お前中国から来たんだろ!」
「中国人は中国に帰れよ!」「中国に帰れ!」「中国に帰れ!」「中国に帰れ!」「中国に帰れ!」「中国に帰れ!」「中国に帰れ!」「中国に帰れ!」……


「中国に帰れ!」の回数=カウントレス。
靖国参拝=中国人という発想力も死んでるし、何よりおっさんのボキャブラリーがマジ可哀相。


指を突きつけ腕で突き飛ばしながらどんどん迫ってくるので若者たちは戸惑いながらも神社内から出て行かされる。おっさんの勢いが激しくて勢い余って地下鉄あたりまで見送りに来そうなくらいだった。もう狂信者にしか見えない。
その前のカットで別のおばさんの「靖国戦没者慰霊のためにある」というコメントが入るのが皮肉さに拍車をかける。
主張者の若者も若者で語り口が極めて胡散臭いというかなんかのセクトっぽいというか。(「こんな怪我*1はなんでもありません! もっと重要なことがあるんです!」)
もう滅茶苦茶。


恐ろしいのは上のアメリカ人にしてもこの参拝反対派にしても、それに対して警察がその思想信条の自由を守ろうなどとはまったく考えていないこと。
O野さんの「警察なんて信用すんなよ」という言葉の意味がよくわかった。連中は当座の秩序維持のことしか考えていないし、そのために思想信条の自由を冒すことや政治的主張におけるどちらか一方に結果的に肩入れすることに対して酷く鈍感になっている。
警察の態度もあいまって、小競り合いが一度起きるとあっという間に法秩序が後退してある種の例外状態が顔を出してくる。
正直ビビった。これは普通に人が死ぬ。
よくも俺はあんなルポ書けたもんだ。無知って恐ぇ。


台湾から親族の合祀の取り下げを訴えにきた女性はほとんど門前払いを食らっていた。
靖国」に対する眼差しにおいて一貫して顕著なのは、そこに他者への配慮が完全に欠如していること。
戦没者の慰霊を願う」と言いながら「中国人は帰れ」と言えるのは、「戦没者」の中に他者が含まれていないから。
日本人以外の戦争被害者だけでなく、日本人ですら「英霊」として祭り上げられ、つまり理解可能な偶像としてしか受けとめられていない。「平和を願う」というスローガンがナルシスティックな自慰にしかなっていない。


これを観た議員が反対したのは、反日だから、などでは全然なく、実は法秩序の強固さや警察への信用、あるいは靖国神社という伝統などのどうしようもない幻想性を上手く引き出していたからでは? と思った。
まぁ、読み込みすぎかな。


他にももう少しあるけど、ひとまず映画『靖国』については、ここまで。

*1:口周りに大量の流血