論文ぶぶぶぶぶぶぶぶぶーん⊂二二二( ^ω^)二⊃

現在の論文進捗状況

読んだ本:10冊(6/28〜)

清水幾太郎社会心理学』(岩波書店、1951年)

西村勝彦『大衆社会論』(誠信書房、1969年(新訂版。旧版1958年))

真田是『現代社会学と社会問題』(青木書店、1965年)

後藤道夫『収縮する日本型<大衆社会>─経済グローバリズムと国民の分裂』(旬報社、2001年)

辻村明『大衆社会社会主義社会』(東京大学出版会、1967)

西部邁『大衆の病理―袋小路にたちすくむ戦後日本』(日本放送出版協会、1987年)(一部のみ)

村上泰亮『新中間大衆の時代』(中央公論社1984年)(一部のみ)

山田竜作『大衆社会とデモクラシー』(風行社、2004年)
後藤道夫『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』(旬報社、2006年)
村上泰亮村上泰亮著作集5』(中央公論社、1997年)

作業状況

作業が全然進まない。何これ馬鹿なの?死ぬの?


とりあえず後藤の『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』を読み直し中。
後藤が自明視する「帝国主義戦争のような野蛮で非人間的な社会現象を「前近代的」なものと見なしたがる、戦後民主主義派の思想傾向」(pp12−13)が具体的にはどのような記述に示されているのかよくわからないので探している。


実際にそれが的確な指摘だとすると、大衆社会論は戦後思想の中で「近代」への懐疑をいち早く投げかけた理論だということになる。
そんなこともどこかに書いてあった気がするが思い出せないので探索中。


追記(16:17)

>そんなこともどこかに書いてあった気がするが思い出せないので探索中。
見つけた。

 近代主義者はこの点についてより敏感であった。……近代化という点ではすでにある程度のものを獲得しているという感覚もまた鮮明なものとなっていた。……
 したがって、1950年代前半までの行動に示されているマルクス主義者のセンスとの差異は大きかった。こうした現状把握を背景として、むしろ問題は独占資本主義の段階の矛盾あるいは「大衆社会」的な諸矛盾のほうにある、という感覚が近代主義者の中で広まりつつあった。

(pp62−64)