大学教育社『現代政治学事典』(ブレーン出版、1998年)

「大衆」
大衆社会論の系譜のなかでは、貴族主義的なそれから第二次世界大戦後のアメリ社会学のそれにいたるまで、多様な内容を含みながらネガティブなシンボルとして使用されている。


相互に匿名で社会的地位・階級・職業・学歴など異質な属性をもつ人びとが、各地に散在しながら同一のメディアを媒介に一つの集合体を形成する。一つの刺激源に反応し非合理的な行動に走るという「群集」の特質を保持しながら、「大衆」は無限に拡大する可能性をもつ。




大衆社会
大衆社会を特徴づけるものは、かつて市民社会の主体であった「教養と財産」ある市民に代わり、「社会の深部から厖大な人口量を<大衆>として定着」(松下圭一)させたことにある。その人口量とは労働者・新中間層で、資本・経営の側と階級的に対立せず、ともに市民社会の系譜上で「体制内在的」な行動様式を示し、ときとして社会的に巨大な勢力ともなる。


大衆社会をどうとらえるかは、もとより論者間でいちようではない。しかし成立期はともかく、第2期と第3期では、二つの大戦をはさんで大衆の側の状況も異なり、社会の性格も違わざるをえない。……わが国の大衆社会論の展開はこの第3期に入ってからで、清水幾太郎松下圭一らに代表されている。戦後資本主義はめざましい独占・集中の過程で、労働者、ホワイトカラー、学生などの層を中心に、増大する大衆は、体制内在的な無定形集団として存在した。大衆が資本・経営側と階級的に対立せず、消費市場として商品・サービスから大衆文化までの大量消費の担い手となる特殊な協調は、じつは資本・経営の支持基盤となっていることを示している。


第3期の大衆社会論はその主流をアメリカにおき、日本でもこの期の前半はアメリカ型大衆社会論を大筋で踏襲している。その特徴は、
(1)大衆社会はアモルフ(形のない、統一ある組織をもたない、不規則な)な集団であり、
(2)大衆は砂のように孤立した個人として原子化されているが、
(3)それは中間的諸関係の弱さにもとづくものであり、
(4)不安定感や無力感をもち、操作されやすく、
(5)調査のDK層や選挙の棄権率にみるように政治的関心は低く、
(6)しかも平等の原則のもとで生活は平準化され、
(7)また標準的な価値観によって消費・生活行動の類似性が高く、
(8)マスコミや周辺の他者の言動に敏感で画一的な思考様式・行動様式をとりやすい等々である。


たしかに、さまざまに議論されてなお論議の余地が多いことは、ベルのいうように大衆社会論が「理論の個々の構成要素を論理的に、有意義に、まして歴史的に、統一する組織原理をもたず」、こういう理論の使用法には、戸惑うほかはないという、その構成基準にあろう。しかし他方、統一的な組織原理のない大衆社会論は、複雑多様で相互矛盾的ですらある現代社会の「有力な現実的記述」(ベル)の過程にあることも、疑いを入れない。……大衆社会分析は現代社会の個別問題に迫るさいの一般理論として意味をもつ。