『新社会学辞典』(有斐閣、1993年)

「公衆/大衆」(藤竹暁)
……しかし現代社会は、
①公衆像が前提にしているような共通の利害を共有する人間ではなく、さまざまな利害をもつ異質な人間の集合体としての大衆によって構成されている。
②大衆が意見表明を要求される争点は多岐にわたっており、また大衆はこれらの争点に対して決定を下すにはあまりにも少ない専門的知識や情報しかもっていない。
③マス・メディアの発達によって、大衆は意見表明を行うよりも、マス・メディアによって提供される過剰な情報を処理することに追われがちな受動的存在である。
④したがって公衆に期待されていた討論は、その場限りの大衆寛感情の表出になりがちである。


……公衆の衰退と大衆の躍進によって特徴づけられる現代社会においては、大衆は主としてマス・メディアが提供する注目の枠組に従って環境を捉え、かなり類似した行動様式を、それぞれ個別的に、しかしほぼ同時に示しがちである。現代では、世論に代わって大衆心理の変動が、社会の動きに大きな影響を与える。




大衆社会論」(辻村明)
日本では当初、進歩的な学者によって展開されたので、イデオロギー的な色彩を強く帯びる結果となり、大衆社会現象が社会主義社会にも発生するのかどうかが論争の的となった。
 最初、清水幾太郎が、機械文明の発達によって、資本主義と社会主義とを問わず、共通に派生してくる社会的病理現象として捉えて以来(1950、51)、多くの社会学者も現代社会の病理現象を大衆社会との関連で論じた。それに対して、政治学者の松下圭一は『思想』の特集(1956年11月)において、社会学者による病理現象の指摘はたんなる記述学にすぎないと批判し、社会学者に大きなショックを与えた。……松下理論の根底にはマルクス主義の発展図式があり、社会主義社会や階級論との関係が問われることになる。しかしその点が曖昧なままに残された。


 なお、辻村明は自らのソ連研究を踏まえて、日本の社会学者および政治学者の大衆社会論を批判し、大衆社会的病理現象は社会主義社会にも十分に発生する可能性のあることを、理論的に明らかにすると同時に、実証的にも旧ソ連のデータをもってそれを跡づけている。


(辻村氏が自分で自分の研究評価してて爆)