大嶽秀夫『高度成長期の政治学』(東京大学出版会、1999年)

 ところで、松下の指摘した「現代社会」としての「大衆社会」の特徴は、彼自身も充分に認識していたように、実は、西欧では第一次世界大戦までに顕著になり、大恐慌直後の1930年までに完成をみた諸現象である。普通選挙による社会主義政党の議会制民主主義化、福祉政策による労働運動の体制内化、大量生産、大量消費がもたらした消費文化面でのプロレタリアの新中間層化、マスメディアによるプロパガンダなどは、すべてこの時期までに出そろっている。こうした現象が、かつてナチズムの台頭とそれへの抵抗の解体とを促したのであるが、それが今や日本にも登場したというわけである。……かつての天皇ファシズムとは異質の、大衆デモクラシーを前提としたナチス型のファシズムが日本にも登場すると予想したのである。その後の高度成長の持続によって、松下が指摘した「大衆社会」の特徴がますます顕在化していくにつれ、戦前型ファシズムではなく、新たな形態のファシズムが登場するというこの認識は、一層説得力をもち、流布していく。松下は、それを欧米の文献の学習によって、高度成長のごく初期の段階で、早熟的に理論家したということができよう(p4)


 ところが重大な一点において、時代の展開は松下が予期したのとは全く異なる展開をみせた。時代はファシズム化ではなく、安定した繁栄に向かったのである。50年代末の日本は、アメリカ型の豊かな社会の到来の前夜にあり、それ故に、アメリカ的な大量消費社会のもたらす、個性や自立の喪失というE・フロムやW・H・ホワイトが指摘した戦後的問題に直面することとなった。……こうして、大量消費社会の展開を予言した松下の大衆社会論は、説得性をもつ一方で、重大な変容を余儀なくされていく。(p8)


 しかも、松下は、西欧の経験を引用しながらであるが、大衆国家の一側面としての福祉政策に非常にネガティヴな評価しか与えていない。すなわち、福祉国家は、基本的には「国家による上からの救済」であり、「大衆国家」の一局面であるとする。*1それを支えるものは、膨大な官僚機構であり、「官僚的国家統制の進行」を伴い、多面で、受益層化しプチブル化した受動的マスを生み出して、大衆操作による「少数支配」のシステムに帰結する。一言で言えば、「議会的社会政策によって上からもたらされる労働者階級の受益化に他ならない」というのである。*2(p13)


 むろん、松下が「大衆社会」の諸特徴として指摘した、福祉国家化、経済国家化に伴う官僚統制の進展と議会政治の空洞化という問題は、それ自体として重要な問題提起であった。……しかしながら、福祉国家、官僚国家における民主主義の空洞化という問題を、ファッショ化などと共通の大衆社会の病理として一括することは、明らかに無理がある社会民主主義体制における民主主義の空洞化が直ちに暴力的支配たるファシズムを生み出すわけではないからである。
 振り返って考えてみると、松下は、社会民主主義福祉国家ファシズム型国家も同じ大衆国家のカテゴリーでくくっている。ローズヴェルトヒトラーが同一の現象であるとまでいいかねない主張である。*3この一因は、松下の議論が根本の部分で、資本主義社会が必然的にファシズム化するとするマルクス主義の強い影響を受けていることにある。……しかし、より重要なことは、松下がローズヴェルトヒトラーの違いを軽視したのは、そもそも彼の依拠した大衆社会論それ自体が両者の共通性を説明する議論であり、その違いを説明できない論理構造となっているという点である。それは、大衆社会論という議論の根本的な限界なのである。(pp15−16)

*1:マルクス主義理論の二〇世紀的転換」『中央公論』1957年3月号、「社会民主主義の二つの魂」『中央公論』1959年12月号

*2:社会民主主義の危機」『中央公論』1958年2月号

*3:史的唯物論大衆社会」『現代政治の条件』p35