後藤道夫編『ラディカルに哲学する5 新たな社会への基礎イメージ』(大月書店、1995年)

 私見では、大衆社会の形成は、19世紀後半から戦間期までの初期的大衆社会と、第二次大戦後のいわゆる「豊かな社会」の段階に照応するものとの、二段階を区別することができる。この段階区分は福祉国家にもあてはまると思われる。
 大衆社会の二段階については、かんたんにまとめれば以下のようになる。
 第一段階では、労働者階級の潜在的・現実的な力の増大により、彼等を安定的な社会成員として統合する多面的な諸政策が必要となった。これは、帝国主義戦争に労働者階級と農民を動員するために、国民国家の一員として必要な心性と徴兵制軍隊の一員たりうる教育水準を身につけさせるという緊急の課題によって、現実の政治日程にのぼり、ソ連社会主義の出現によって、不可欠のものとなった。先進国の多くでは、両世界大戦を二つの画期として社会保障制度が大きく進んだが、このことは、福祉国家にたいする大衆社会論的なアプローチの有効性を示していると思われる。初等教育の普及・定着、男性への普通選挙権、社会保障の初歩的諸形態、大衆的普及力をもつ各種の文字メディアの発達、各種社会団体への国民の統合、大衆のナショナリスティックな感情の喚起の成功、などが大衆社会の第一段階の大まかな指標となる。
 第二段階は、耐久消費財の大量生産=大量消費サイクルの上昇的回転による戦後の長期好景気以降の時期である。飢餓線的貧困は国民規模で解消され、多様な商品への欲求が爆発的に開放され、あおられた。ライフスタイル、価値観、教養などの平準かもいちじるしく進み、マス・コミュニケーションの発達と一体になった大衆文化が文化全体を覆う。中等教育、高等教育への進学率が高まり、「学校」を通じた社会移動への期待が高まる。能力主義的な人材配置、処遇が社会全体に普及し、伝統的な「身分」意識は最終的に打破される。第一段階で欧米の労働者階級に成立した「労働者社会」の人間関係と文化は、能力主義的社会編成と激しい地域再編成および圧倒的な大衆文化の浸透によって、衰退傾向をたどりはじめる。
 福祉国家の中心は社会保障制度だが、これはヨーロッパの場合、第一次大戦前に制度化されはじめ、第一次大戦後にかたちを整え、さらに第二次大戦直後に体系的な政策・制度として整備された。財政制度としてみれば、なんらかの財政民主主義、フィスカル・ポリシーを用いた完全雇用政策、累進制をともなった所得税中心の税制、国家財政にしめる社会費あるいは社会保障費の比率が大きいこと、中央集権型の財政システムと地方財政調整制度、などがそのほぼ共通な特徴となる。
 この段階の社会保障制度は、全体として、国民の「窮乏からの自由」を目的としたものであり、児童期、失業と疾病、老齢期などに集中する窮乏を、ナショナル・ミニマムのレベルで救済しようとするものである。……
 「豊かな社会」の到来とともに、先進国の社会保障制度が主に対象とするはずのものが変わってくる。つまり、「貧困線を上回る階層の新たな各種ニーズへの対応が主要な課題」となったのである。……
 おそらく、1970年代末以降の新保守主義が破壊しようとしたのは、直接には、この「豊かな社会」に照応する第二段階の福祉国家であり、福祉国家一般ではない。新保守主義は、総論としては、国家にたいする社会保障の期待の水準をラディカルに圧縮して国家の施策をできるかぎり最低保障のラインに近づける、と称し、福祉や社会保険などの項的な給付水準一般の削減と私的な生活努力に依存する部分の拡大をめざした。先にもふれたように、新保守主義は中産階層に依拠した政治運動であるため、社会保障・福祉にかかわるスケープゴート貧困層だが、最低保障じたいが切り捨てられたわけではない。(pp38−41)


 第一段階の福祉国家は、増大する労働者階級の潜在的・顕在的な力を前にして、戦争への国民動員という状況を画期とした、支配層のイニシアティブによる上からの妥協・改良の制度化という側面が強い。もちろんこれは19世紀末から1930年代の、産業別労働組合の確立にいたる巨大な圧力をぬきにしては語れない。だが、改良措置を実現するイニシアティブは概して上からのものであり、労働組合も政治システムに組み込まれているとまではいいがたい。……第二次大戦後の日本の財政制度の骨格も先の指標でいけば福祉国家型に作られているが、かならずしも具体的な下からの圧力の結果とはいいがたい。
 これにたいして、第二段階の福祉国家は、より顕在的な階級対抗の妥協の制度化として形成されていると思われる。つまり、産業別労働組合の力と社会民主主義諸政党の影響力が拡大・安定していき、それらと資本・保守勢力との妥協の政治的制度化が第二段階の福祉国家であり、政治的意思形成システムとしてみればコーポラティズムである。(pp48−49)


 これまで、日本の革新諸勢力のなかでは、福祉国家は支配階級による労働者階級の馴化、体制内統合の重要な手段・形態であると考えられてきた。1960年代を例にとれば、福祉国家を主張したのは、自民党の一部と民社党であり、共産党はもちろん社会党福祉国家には強く批判的だった。この歴史には二つの面があると思われる。一つは、西欧福祉国家の親帝国主義・反社会主義の志向ゆえの批判という面であり、もう一つは、産業別労働組合の不在あるいは弱体により、「豊かな社会」段階の生活保障を公的福祉の領域で確立しようという要求が政治的にかたちをなしにくく、福祉国家批判が大衆運動の場面でも容易だった、という面である。後者の事情と一体になって、日本では福祉国家型の統合と異なる日本型の企業主義的統合が成立したのだが、これについてはすでにみたとおりである。ここでは、前者について、現在の新たな福祉国家戦略はそうした批判を免れうるのか、という点にかんたんにふれておきたい。
 あらかじめ結論をいっておけば、帝国主義が古典的帝国主義から現代帝国主義へと転化することによって、福祉国家戦略はその意味を変化させているのではないか、というのがここでの主旨である。(pp60−61)


 まず、先にみた帝国主義福祉国家の国際的費用分担は困難となり、各国の財政事情も危機を迎える。……
 第二に、福祉国家の経済政策の基本であるケインズ主義的な国家介入が前提する、各国の国民経済が各種国境措置と国家介入を通じて一つの経済的まとまりとして機能する状態、それじたいが、現代帝国主義とぶつかりはじめた。……これ(多国籍企業の志向)は国民経済単位の国家介入による経済調整を前提とする既存の福祉国家体制を矛盾したのである。
 第三に、このことは、……福祉国家が多様な領域で制度化し、慣習化してきた資本蓄積にたいする膨大な諸規制と介入……にも向けられ、資本の行動の自由を規制するもの一般が攻撃対象となった。資本蓄積にたいする各国の諸規制は、現代帝国主義の主敵の一つなのである。
 第四に、こうした動向と関連して、各国の産業の「低効率」部門の保護切り捨てと、多国籍企業の行動の自由の拡大にともなう産業の空洞化とによって、国内の階層分化が進んだ。福祉と社会保障の水準が低下させられたため、この階層格差は深刻なものとなり、「国民」としての平等の保障という方向で進んできた、これまでの大衆社会化の流れが転機を迎えた。帝国主義がインターナショナル化するとともに、各国の大衆社会は収縮をはじめる。これは古典的帝国主義が、ナショナリズムの対外膨張と国内の大衆社会統合の強化、というモデルによって把握できるのと対象的である。……
 以上、ごく荒っぽく、「福祉国家帝国主義」関係の一般的推移をながめてきた。日本型の福祉国家戦略がもたざるをえない新たな特性も含めて考えると、ここからいくつかのことがいえると思われる。
 第一に、現在の時点での福祉国家戦略は、現代帝国主義の政策動向に対抗する意味をもち、その意味で、現代帝国主義による南の諸国の支配の強化にたいする、先進国内部からの抵抗という意味をもつということである。むろん、この「連帯」はいまのところ媒介的であり、直接的なものではない。先進諸国の福祉国家戦略は、直接には依然として、経済の世界的ヒエラルキーの頂点部分の諸国内の平等をめざすものという域をこえないが、現代帝国主義にたいする先進国側からの大きな制約たりうるのである。
 第二に、先にみた日本の福祉国家戦略は、現代帝国主義に対抗する性格を特殊に強くもたざるをえない。なによりも、日本の新保守主義革命は帝国主義国家体制そのものの構築を主要な課題の一つとしているからである。……
 第三に、日本型の福祉国家戦略は、想定される中心的担い手のあり方の点で、西欧福祉国家とは大きく異なるが、このことが現代帝国主義との関係でもつ意味は少なくない。
 西欧型の推進力である巨大産業別労働組合は、企業を超えているという点で日本型の企業主義統合のような、資本への無規制状態をつくりはしない。だが、先進国の産業別労働組合は、巨大な多国籍企業に雇用される労働者集団がそのなかで相当の比率をしめる場合が少なくないはずである。このことは、南の世界との関係でも、国内の弱小勢力との関係でも、巨大産業別組合が、内外の自由市場主義を前提としつつ、「強者の集団」化する可能性があることを意味する。(pp63−66)


 スミス*1とリスト*2のそれぞれにおいて、経済的インターナショナリズムと経済的ナショナリズムは独自の交錯をしているのだが、現在の選択の問題としては、こうした延長形態を含めて、そのどちらをとるのか、というかたちで問題をたてることには慎重でなければならない。この二者択一の地平そのものが、「世界市場と帝国主義」の地平だからである。(p74)


 世界経済の新たな段階は、明らかに多国籍企業の世界展開と蓄積のきわめて高度な水準によって生みだされた、世界的な経済の相互依存体制の深化をその特徴としている。それに対抗する戦略が、一時的に国際的つながりを削減することによってその国の国民経済の回復と強化をはかり、ふたたびその実力をもって国際市場に出ていくというものであれば、これは、旧来のリスト型の戦略と違いはない。だが、自国の国民経済を一つの拠点として、二つの帝国主義につらなる二者の択一あるいはその両立の地平そのものを引き下げる、という方向がめざされれば問題は別のように思われる。
 つまり、世界市場を縮小し、市場の論理、効率性の論理をふたたび多様な社会に「埋め戻す」という方向である。一方で、このことは、主権国家内部の市場の論理に、社会的・政治的な逆権力関係を用いて、低効率部門保護や弱者への「必要」な福祉が与えられる状況をつくりだし、同時に、国民経済という単位を下に向かっても相対化すること、つまり「自然な」地域経済の復活をめざすということと一体にならなければならず、他方で、幾多の国際政策と多国籍企業の規制、および各種国境措置を組み合わせて、世界市場の密度を下げることに着手することを想定することになろう。国民経済を位置づけるスタンスと方向性の違いが重要となる。(pp75−76)


 第三世界の側からみれば、旧来の福祉国家論の限界はいっそうはっきりする。先進国の国内で「低効率」の保護がはずされ、そこに矛盾がしわ寄せされるということは、大きくみれば、「低効率」国に矛盾が集中することと同じメカニズムによっているのである。多国籍経済を舞台とする企業とそのエイジェントは、両方で「高効率」の部分だけを吸いとっていく。多国籍企業の論理に対抗しようとするなら、国内、国外の両方で市場の論理を規制するほかはなく、このことは、すでに第三世界と先進諸国の「低効率」部門保護とを通底する課題となっているのである。(pp77−78)

*1:アダム・スミス

*2:フリードリヒ・リスト