論文構想(ver2)

構成:
Ⅰ 新自由主義的攻勢に対する後藤道夫の新福祉国家構想を批判する


後藤の新福祉国家構想はおおまかに以下
多国籍企業と多国籍銀行の行動の広範な規制
②①の実行のための先進諸国による新福祉国家連合の形成
③先進各国を経済成長依存の体質から脱却させるために「市場」が「社会に埋め込まれた」状態を実現する
帝国主義脱却・財政改善のための巨大な軍縮


いまのところ考えうる批判
1.①、そして②は現実的に可能か?*1
 多国籍企業と多国籍銀行によるトランスナショナルな行動を可能にしたのは情報通信技術と流通技術の発達。これらを利用する多国籍なアクターたちが諸国家に彼等への優遇措置(規制緩和など)を競わせた、というのが現在の権力の構造であるのなら、①の実現には多国籍アクターが利用しうるほぼすべての国家の協調が必要になる。
 これは実際には②で想定されている「先進諸国」の範囲よりも広いはずで、さらに言えば先進諸国間においても容易に協調は達成されえないはず(京都議定書の達成率の問題が参考になる気がする)。
 多国籍企業を利用しようとする国家がいる限り、事態は面従腹背チキンレースになるのでは?


2.新福祉国家運動は「経済の世界的ヒエラルヒーの頂点部分の諸国内の平等を目指すという性格を超えるものではないが、途上諸国に必要な産業の育成・保護政策を押し潰す激しい自由通商主義への抵抗であるという点で、世界経済ヒエラルヒーの緩和と将来的な水平化を可能とする条件になりうる」、と後藤は述べるが、先進諸国による国家連合の形成はG7、G8等のGx体制の延長上としても捉えられる。
 仮に先進諸国間で新福祉国家連合の形成に成功したとしても、先進諸国が連合内部では協力体制を強化しつつ、連合外諸国に対しては(明示的でないとしても実質的には)別のルールでの関係性を強いて搾取構造を継続する、という構図もまた想像できないことはない(社会帝国主義のリニューアル?)。
 「世界経済ヒエラルヒーの緩和と将来的な水平化」への原動力とその影響力がその分かれ道を左右すると思うのだが、後藤はその点に言及していないように思える(再確認)。


3.連合内では新福祉国家として「国民経済のバランスの維持のための国家介入と福祉国家型の国家介入」を許容する体制の構築が目指されるのだが、これは一種の大衆国家である。しかし後藤道夫の大衆社会への評価がこの大衆社会国家の再構築に対しどのように接続されるのか、あまり明確ではない。

    • 松下の大衆社会論は、福祉国家を大衆デモクラシーとナショナリズムによって成り立つものとして強く批判していた。後藤は松下に基本的には賛成しているように見えるが、ならば松下の福祉国家批判に対して後藤はどう答えているのか?


4.「「革命」を回避し抑圧するための、大衆社会統合の強化を媒介とするタイプの「改良」を支配層が放棄」したことから、新福祉国家運動においては「社会民主主義者等の漸進的改革派と共産主義者等のラディカリストとの共同が可能」、と後藤は述べる。しかし共産主義者等ラディカリストは、暫時的には社会保障拡充のために福祉的な意味での政府の介入を求めるとしても、新福祉国家連合のような大きな統治形態の形成に賛同するとは思えない。




Ⅱ Ⅰの補強のため、大衆社会論を福祉国家批判という文脈から捉え直し


「大衆」社会論と「大衆社会」論とで……どうしよう?
この二分法は維持したほうが良さそうだが、福祉国家批判としては前者も使えそうな悪寒。やめてよ父さん。

*1:国家類推説(?)の否定が『帝国』に書いてあったとかなんとかなので、『帝国』の該当箇所だけ読んでみる予定