山田竜作『大衆社会とデモクラシー』(風行社、2004年)(2)

 彼(加藤秀俊)は、こうした通俗化した大衆社会理解に疑問を呈し、……安保闘争のピーク時に反政府運動を担った人々の少なくない部分は、「一見アホウふうの人間として見られてきたひとびと」であると指摘した。

私は、これまで大衆社会論が指摘してきたさまざまの社会病理的傾向にもかかわらずこのあたらしい事態が生れた、という見方には賛成できない。逆に私は、それらの傾向のゆえに、必然的にいまの抵抗の政治活動がはじまったのだ、という立場をとる。……

*1(p186)

*1:受益化ゆえの大衆の政治参加。しかしこれには社会帝国主義への誘いが孕まれている