加茂利男『現代政治の思想像』(日本評論社、1975年)

 大衆社会論とのこのような、問題視角、事実認識の重なり合い、交錯がありながら、マルクス主義者たちが、転じて大衆社会論への反論の矢を放ったのはいかなる理由によってであろうか。……
 もとより(大衆社会論への)批判の焦点は理論的な問題におかれ、その論点は結局次の二点に集約されるであろう。
 (1)大衆社会論による大衆社会的状況の理論的把握は、それが「階級の論理」を相対化させて、これとは別の社会関係の交通様式(松下氏によれば「社会形態」)の次元に設定された把握である限り、実のところ大衆社会的状況を生む起動力すら見失うこととなる。……換言すれば、大衆社会論者は、「現代の不幸は人間と社会が機械化していることだが、その原因は現代が『機会時代』だからだ」(芝田進午)というに等しい(トートロジー!)とされたのであった。……
 (2)また大衆社会論は現代政治を把握する中核的視座ともいうべき「帝国主義にかんする理論」をドロップさせることによりその射程を自ら狭くし、しかもなおかつこのような射程の限界をもつ理論を現代社会把握のトータルな視座にまで拡大させることにより、ここでも理論の実体化=教条主義的傾向を生む。(pp223−225)


 日本にイギリス型の「福祉国家」が成立しうる基盤のなかったことはそのとおりである。しかし同時に、そのことが日本の支配権力に「大衆化状況を基盤として労働者階級を『馴化』する支配形態を実現する政治的・経済的基盤」がなかったという認識と重なるとき、ある種の疑問が湧いてくる。60年代前半に、上からの「ムラ」破壊、「工業化」を軸として進められた「高度成長」が、単純に「階級の論理」が作動することを妨げ、「階級の論理」の本格的な作動を60年代後半→70年代へ「繰り延べさせる意味をもったとすれば、そこには少なくとも事実として大衆社会状況が端的に現れていたといえないであろうか。(pp234−235)