真田是『現代社会学と社会問題』(青木書店、1965年)

 (大衆社会論の)第一の問題点は、現代社会を階級関係においてとらえるというよりも、エリート――マスの軸でとらえていることにある。……とにかくエリート――マスの軸が必要にされる根拠は何なのか。……生産関係の問題とは離れて、現代社会を性格づける独自の基準として支配者――被支配者関係を扱うのであれば、それは社会を統一体としてとらえていないことであり、必然的に任意の基準で社会をとらえる主観主義にならざるをえない。……
 大衆社会論でのエリート――マスの軸が主観主義的類型論の系譜にあると考えざるをえない根拠がある。大衆社会としての現代社会論に一般的にみられることだが、エリート――マスの関係からみるとナチズムと社会主義諸国とがひとしく全体主義の型に類別されている。こうしたことが頻繁にかつ広範におこなわれているのは、エリート――マスの軸が任意の独自の基準として使われていることを物語り、生産関係との結合でとらえられていないことを物語り、したがって社会を統一体としてとらえていないことを物語っている。(pp53−54)


 第三に、大衆像の問題がある。大衆社会論では、……大衆は、権力その他の外力のまえで無防備な「甲羅のないカニ」にたとえられる無力な存在である。……このような大衆像が生みだされるには、現実の大衆運動をみないか、大衆運動を無意味または有害なものとしてあらかじめ勝手な価値判断から断罪して観念の中で葬っているかによる。……大衆が起ち上ればこれを非難することと、徐々に変化しているのを無能よばわりすることとは同じ観点からでてくるもので、歴史的な法則をみとめないブルジョア科学の中に統合された大衆観である。(pp56−57)