で、「日本大衆社会論」を俺はどうしたいのか?
えー、実は正直まだよくわかりません。
戦後GHQによってある意味で強制的に、ある意味で歓迎されながら「デモクラシー」が日本にもたらされたこと=「大衆」の時代のはじまりに対する恐怖があったのではないか、
ととりあえず直感的に睨んでいるわけだが、「だから?」と言われると……なんなんだろう?
そこで語られたことが、現代の視点=今の俺が再び見直すことで一体どんな意味を持つのか?
同時に「大衆社会論」が「大衆社会論」としてはその名を消しつつ、しかしその各アイディアは各々の学問の中に細分化されていったのではないか(だからこそ「消えた」?)とも、ここまで何冊か読んできた中でなんとなくつかめてきたが、それを一体どう料理すればいいのかいまだに見当がつかない。
とりあえず今ある疑問点、調べようとしているところはこんな感じ。
- (日本)大衆社会論は何をどう述べているのか?
- 日本大衆社会論はどのようにはじまったのか?
- 日本大衆社会論に強い影響を与えたのは外国の誰か?
- 大衆社会論が輸入されるにあたって、その受容はどのように行われたのか?
- 何故日本で大衆社会論は一大ブームを起こしたのか?
- 日本大衆社会論は誰によって展開されたのか?
- 日本大衆社会論はいつ終わったのか?
- 清水幾太郎『社会心理学』は何を述べているのか?
さてさて。
とりあえずは就活がつつがなく終わることを望むのみですが。